臨床をやっていて、何か研究発表や報告に値するかな、と思うことに遭遇する。
調査成績だったり、珍しい症例だったり、新しい手技の結果が良かったり、数症例がまとまったりする。
すでに成書を読み、文献を調べ、努力して知識を増やしてきたのだし、それについて考察を加え記録しておくことは自分のためにもなるし、同じ分野で臨床をやっている仲間の参考にもなるだろう。
そのことは、喜び。
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口頭発表は申し込みさえすればできるし、反応や質問がどうであれ、学会はスケジュールどおりに終わり過去になる。
残るのは抄録だけ。
論文として学術誌に投稿しようとすると、口頭発表の準備以上に時間がかかる。
そして、投稿すれば・・・・レフリーからコメントが返ってくる。
賞賛されることや、何も指摘がないことはまずない。
私の場合は、まず腹が立つ;笑
どうして怒りが湧くのだろうと思うが、それは
理解されないこと、
プライドが傷つけられること、
掲載されるところまで持って行けるかの不安、から来るのだろうと思う。
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審査結果が戻って来て、修正を求められていたらできるだけ早く修正稿を提出した方が良い。
しかし、努力して仕上げた自分の著述を修正するのは哀しい作業でもある。
なるほど、こういう風に修正すれば論文が良くなるな、と思えるなら嬉しいことだが、そのような指摘はめったにない。
イージーミスなどは、自分でも情けないだけだ。
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まあ、これなら載せてもらえそうだ、という評価が得られたときや、
最終的に「掲載可」の回答が来たとき、
そして、自分の報告が掲載されるのは楽しいことではある。
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論文や学術報告は長く残る。
永遠に、と言ってもいい。
10年、20年、30年経っても、自分の論文が引用されたり、参考にされているととても嬉しい。
ああ、あのとき苦労して論文にしておいて良かった、と思う。
人の役に立てたこと、自分の努力が形になったこと、理解してもらえたこと、の喜び。
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喜怒哀楽、感情は emotion。
emotional だと、感情的な、感動的な、情緒の。
そもそも、論文投稿には本来、喜怒哀楽はあるべきでなく、
motivation 動機、やる気、だけがあれば良いのかもしれない。
40年やってきたけど、悟りの境地にはほど遠かったな・・・・・笑
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朝、PIP joint の骨片摘出関節鏡手術
目やにが出る当歳馬の診察。鼻涙管閉塞で手術を予定することになった。
午後、クラブフットの当歳馬の深屈腱側副靭帯切断手術。
獣医学生の見学研修1名。
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