大胸筋も切れてしまっていた。
断面にはもう血が止まっている血管の断端が何本もぶら下がっていた。
二人がかりで縫って、2時間半かかった。
関節鏡手術や喉の手術より時間がかかる。
こういう傷でも皮膚を縫うときに一番痛がる。
枠場で立ち上がるほど暴れたので、3度目の鎮静剤を投与した。
今度は、枠場にもたれかかってしまうので枠場から出して縫合を仕上げた。
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縫合し終わって、トラックに乗せたら倒れこんでしまった。
呼吸も不安定。
鎮静剤の拮抗剤を投与したら安定した呼吸をするようになり、そのうち立ち上がった。
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江戸時代まで、日本人は傷を縫合することを知らなかったらしい。
安土桃山時代にポルトガルから、江戸時代にはオランダから外科医学が伝わって縫合術も一部の洋医師は知っていたらしいが、普及はしていなかった。
麻酔も抗生物質もない時代だったこともあるだろう。
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のちに明治の高官になった井上馨が、維新前に襲われてひどい刀傷で命が危ぶまれた。
そのとき、美濃出身の所郁太郎という蘭方医でもある志士が、傷を縫合して命を救ったことが司馬遼太郎の小説になっている。
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日本刀は突くより切ることに優れているので、縫うべき刀傷になりそうな気がするが、実際には江戸期には武士も刀を抜いて切り合いをすることなどほとんどなかったのかもしれない。
一方、西洋では甲冑が発達して洋刀では切りつけることができなくなった。
そのため剣道は、鎧の隙間から突き刺すフェンシングになったし、
騎馬武術は甲冑をつけた相手を重い槍で突き落とす決闘や競技になった。
おのずと、刀創は縫合するような切創ではなく、刺創が多かっただろうと思う。
それに比較して、斬りつける日本刀を持ち歩いていた日本人が自らの発想で外科縫合にたどり着けなかったことは残念な気がする。
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