サウジアラビアで、ラクダのレースやコンテストを含んだイヴェントが行われていて、
ドーピングやルール違反の処置をして出場するラクダも居て、失格になるラクダも少なからずいるのだそうだ。
それがTVのワイドショーで取り上げられ、コメンテーターが、
「ボクもボトックス注射を受けているけど、それは自分の意志でやっているので、
自発的にボトックス注射を受けるわけではないラクダにやるのは良くない」
というようなことをコメントしていた。
もう一人のコメンテーターも、
「自然じゃないことを動物にするのは良くない」
ということをコメントしていた。
私はひどい違和感を感じた。
TVにコメンテーターとして呼ばれるような知識人??ですら、人が動物を飼うこと、人が動物と暮らしていくことについて、
こんなお粗末な観念しかもっていないのだな、とあきれた。
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人は太古から動物を飼うことに挑戦し、野生動物をてなづけ、品種を改良し、飼い方を工夫し、動物を利用して生きてきた。
肉を食べるために飼われてきた牛、豚、ニワトリ、羊、ほかには馬も犬も。
乳を搾るために飼われてきた牛、山羊。
毛を刈るために飼われてきた羊。
狩りを手伝わせたり、狼から守ってもらったり、畜産を助けてもらったりするために飼われてきた犬。
馬は、移動手段であり、農耕の動力にもなり、戦争のための兵器でもあった。
ネコは、農耕の収穫物をネズミから守るために飼い始められたのだろう。
そして、イヌ、ネコをはじめ多くの動物が愛玩用としても飼われてきた。
くだんのラクダは砂漠の船、そして中東では貴重な財産だ。
いずれにしても、いずれの飼い方にしても、動物の意志ではない。
それが、畜産であり、人が動物を飼うことである。
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だからと言って、虐待だということにはならないし、
もちろん、どんな飼い方をしても良いということではないし、
動物に何をしても良いということではない。
それでも、人が動物を飼うことは素晴らしいことで(人にとってだけかもしれないが)、
人の世に動物がおらず、地球上に人と野生動物しかいなかったら、この世は今ほど豊かではなく、寂しいと私は思う。
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ラクダにボトックス注射やアナボリックステロイドを射っても良いというつもりはない。
それは、ラクダのコンテストの中でのルールの話だ。
ラクダを飼うのは中東の畜産であり、ラクダはペットではないだろう。
ラクダの自由意志の話ではない。