私が獣医学科に入学したのは、獣医学教育が「修士積み上げ」と呼ばれる6年生になって2年目だった。
入学したとき(昭和54年、1979)には、
「君たちが4年生になるまでには、6年一貫教育になり、大学院への入学試験を受けなくてもよくなるから」
と言われたが、結局それは進まず、大学院入学試験を受けねばならず、授業料も値上げされた。
それでも私立大の授業料よりはるかに安かった。
私立大から国公立の大学院を受ける学生が多かったらどうするつもりだったんだろう?
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大学院の修士課程の学生として過ごしていたが、もう山岳部も引退し、馬にも乗らず、の生活だった。
大学院も授業は多くはなかった。
まだ、6年制教育の環境は整っていなかったのだろう。
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大学の2年生から馬に乗っていた私は、馬の臨床に興味を持ち、馬産地の臨床を観たいと思った。
それで先生に頼んで三石家畜診療センターを紹介してもらい、学生実習にやってきた。
昭和58(1983)年の夏だった。
1週間滞在したのだったと思う。
その頃、町畜産研修センターは、管理人さんが居て、頼めば3食食べさせてもらえた。
思えば、診療センターも畜産研修センターもまだ開所8年目で、新しく快適だったのだろう。
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朝、夕は、往診随行させてもらった。
獣医さんの昔話や、地域の様子などを聞きながら、なじみのない馬産地の牧場を回るのは楽しかった。
ときどき獣医学的なことを質問されたが、なんとか答えることができ、
「君はよく勉強していて、優秀だね」と褒めてもらったのを覚えている。
例えば、「好酸球が増える病気は何だ?」という質問だったりした。
「え~っと、、、寄生虫疾患とアレルギー疾患・・・」などと答えることができた。
臨床の教室に居て、患畜の診療に参加したり、先輩の話を聞いたり、教科書で調べながら話し合ったりすることが多かったので、臨床の刺激は受けていたからだろうと思う。
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診療センターの獣医師たちの知識が豊富なことや、きちんと診断して最適な治療を選択しようとする姿勢には学生の見ながら感心した。
検査室があり、血液検査も細菌検査も行われていたし、
手術室があり、手術台もあり、吸入麻酔での手術も行われていた。
どちらも今の1/10にも満たない数だったのだけれど・・・
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学生実習は、ほかの大学から来ていた別の学生と一緒だった。
そいつは、はっきり日高に就職したい、と言っていて、私より実習期間も長かった。
私も、就職先を考えなければいけない時期だったが、どうしようか決めてはいなかった。
大動物臨床をやるのか、酪農地帯に就職するのか、馬の獣医師を目指すのか・・・・
まだ、自分の一生のこととか、働くということとか、しっかり考えられない若さだけで過ごしていた。
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それから36年経って、施設の取り壊しを見るようになるとは・・・
その前に大型犬と住んでいるとは、想像もしなかった;笑
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日曜日、
橈骨骨折をdouble LCP固定で治した当歳馬のLCP抜去。
手術から、3ヶ月あまり。
まだプレートは骨に埋まってはおらず、それほどたいへんではなかった。
続いて、夜間放牧中に頭頂部を何かにぶつけた当歳馬の外傷縫合。
その間に、骨盤骨折した繁殖雌馬の剖検。
午後は、
当歳馬の骨柩症。
はっきりした腐骨はわからなかった。
その後、ひどく痩せてしまった高齢の繁殖雌馬の検査。